「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

ざれごと

上下関係は対等ではない?

〈上下の関係〉ならば〈対等に話すことはできない〉 さて、この命題は正しいだろうか? ■仮定:真である対等の概念は上下の関係性を否定している。対等とは上下関係の反意語であるから、上下関係が確定している中で対等に話すことは不可能だ。よってこの命題…

向き合いはじめの一歩

ある日、ある場所での哲学対話。宙空に浮かべられた問いを、みんながぼんやりと眺める。どうしてそれが問われたのか、なにを問うているのかを考えることなく、まるでアンケートの設問に答えるように、次々に「自分はこう思う」という意見が述べられる。論理…

対話は信憑に変化をもたらす

デキゴトは常に「ある視点からの事実の側面のひとつ」に過ぎない。誰であろうと、全視点(神の視点)で捉えることはできない。だから、同時にひとつの視点しか持てない人間には「事実をそのまま見る」ことはそもそもできない。そしてその「ある視点」は物語…

哲学対話の場はちっとも簡単ではない

たいていの哲学カフェでは、場の目的やルールがあり、ルールがあるところではルールの説明をする。でもそれに時間をかけるところは少ない。お決まりだから?これから対話を始めるのだ。それは好きなことを好きなように言い合うことではなく、あらたまって他…

哲学対話のルールを鵜呑みにしないで考えること

東京大学教授の梶谷真司さんの本を読んで哲学対話をはじめた人は多いみたいだ。だけど、この本をマニュアルとかバイブルのように思ってよく考えずに模倣したり、東大教授の本に書いてあるからこれが正しいんだと決めつけるのは違うんじゃないか…という話を書…

答える前に「いろいろ」考えてみた?

「重要なのはAかBか」 たとえばこのような問いがあるとして、Aの方が重要だとか、いやいやBの方が重要だとか、はたまたAもBも重要だとか答えたとすれば、その回答者はろくに考えていない。自分の中にある「それっぽい答え」を探してきて答えているだけだ。何…

『愛するということ』について(3) 責任を持つ

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』の中にある〈愛の能動的4つの性質〉について、次は責任をみていこう。愛するということ 新訳版作者:エーリッヒ・フロム紀伊國屋書店Amazonくどいようだけど、〈愛の能動的4つの性質〉は原書で次のようになっている…

『愛するということ』について(2) 配慮する

さて、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』について、いよいよ書きたかった本題に入る。フロムのいう〈愛の能動的4つの性質〉、配慮・責任・尊敬・理解について個別にみていこう。愛するということ 新訳版作者: エーリッヒ・フロム,Erich Fromm,鈴木晶…

『愛するということ』について(1)

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本がある。愛に関することで必要なことはこの本で言い尽くされてしまっている、といっても言い過ぎではないと思えるくらいに完成度が高い本だ。特に「愛は技術だ」と喝破しているところはとても素晴らしい。…

会う、逢う、遭う

人や出来事と対面する意味での「あう」にはいくつかの漢字がある 。それぞれ以下のような違いがあるように思う。 会…集まる。会う意思が有る。 逢…運命的な要素。逢う意思は問わない。 遭…偶然的な要素。遭う意思は無い。 逢うは、逢瀬のように意思がある場…

信用シール

信用をシールのようなものと考えてみる。 自分が信用できると思ったものに、「自分マークの信用シール」を貼るわけだ。想像上のシールなので何にでも貼れる。人にも会社にもお金にも、言葉にだって流行にだって貼れる。 信用シールは無制限の信用じゃなくて…

新しい「社会人の定義」

※推敲中だけど公開する。趣旨を大きく変えることはしないけど、細部については追記・修正するかも。社会の様々な問題を解決したいのであれば、その構成員である「社会人」の定義を見直すことから初めないと改善しない。構成する部品に原因があるのに、原因を…

「寄り添うこと」と「悲しみ」を見ること

友達をどういう定義で考えるかは好きにすればいいと思うので、私も私の思いたいようにしている。そういう意味で、私には「私の友達」についての明確な基準がある。その定義に当てはまらない人は、どれだけ頻繁に会っていても仲良くても私は友達と呼ばない。…

生きるための哲学相談

「その人が無自覚に前提していることを見抜く」のは哲学の得意とするところで、突拍子もない理屈だろうと矛盾だらけの理屈だろうと、それらを読み解くための質問はできる。しかしこれは、哲学の知識に依るものではなく、実践経験に依るところが大きい。哲学…

人としての成熟

大切にするとはどういうことか。大事に思うとか愛することとかってのは、具体的じゃないので説明にはなっていない。では具体的にどういうことなのか。それを考えるためには、まず「大切にしたいものは何か」を考える必要がある。誰かのことを大切に思ってる…

「自分はすべてを知ることはできない」という生き方

【自分はすべてを知ることはできない】という自覚は、案外難しいものだ。哲学の効能は「考える力を養えること」と言われているようだけど、実は「答えは安易に出せるものではないと知ること」の方が大きい。考える力なんて程度の差はあれだいたいの人は持っ…

哲学も対話も苦い

ずっと疑問に思っていた。なぜ、哲学対話のテーマで「対話ってなに?」というテーマをあまり見かけないのか。 ※まったく無いわけじゃなくてたまにはある。「対話バンザイ、討論は嫌い!」みたいのも含めればもっとあるけど…。対話そのものをテーマにしないの…

人が暴力をふるうのはどんなとき?

■加害者・被害者が共に暴力だと知っている場合 自分の中の満たされない穴の埋め方に「困った時」。困らなければ暴力にはならない。暴力が常態化した場合は、満たされなさを感じると反射的に暴力に結びつく。困り度合いが「手を伸ばさなければ醤油が取れない…

日常的に哲学を実践しているなら

誰に対してかは明言しないけど、レベル低い。また、これも誰に対してかは明言しないけど、素晴らしい、しびれる、憧れる。

闇の中の仕様書

世界は「仕様書のないシステム」であり、多くの学問は「システム攻略マニュアルの作成」を目指している。しかし哲学が目指しているのはマニュアル作成ではなく、推論と検証を重ねながら実装を見抜いて作る「妥当な仕様書の作成」だ。この点は科学や数学も同…

哲学ってなんだろうね

論理的であることは、哲学の一要素に過ぎない。 論理的に考え、論理的に話せれば、哲学ができているとは言えない。 もし論理的であればすなわち哲学であるとするなら、論理的に構成された契約書も哲学になる。しかしそんなわけはない。また、知識も哲学の一…

哲学と対話と哲学対話

「哲学とは何か」というのは広大で多様に見えてしまい、こりゃ完全に言い表すのはしばらく無理だなとは思っていたけど、同じように対話も完全に言い表すことができない。*1一年や二年考え続けたところでわかるようなもんじゃないなってことが実感できた程度…

私には真理や叡智がわかる!他人の間違いもわかる!

真理や叡智に至った人がいると仮定して、その人が日常的に真理も叡智も使っておらず、言行のすべてが私利私欲を満たそうとするものでしかなかった場合、その人が表現しているのは真理でも叡智でもなくて私利私欲だろう。真理や叡智を日常的に使っている人(…

命は大切か-安直で短絡思考で人の幸せをうらやむ人たちに宛てて

命の大切さを説く前に、生きることの楽しさを説くべきです。命の大切さを訴えたいなら、「生きることの楽しさを実感したい」「実感しようよ」と、人(子どもたち)がそう思う方向に導かなければいけません。自分が生に意味を見出していないのに、他人の生に…

人と社会の幸せ

1.人間には特別の価値があるか すべての人にとって特別に価値ある生命とは自分の生命のみであって、自分以外を特別視しない。 現代社会では金科玉条のごとく特別の価値があるとされているが、実際には無い。 「人間の生命は等しく無価値であり、その意味で対…

「対話の場」の考え方

1)立場を表明しないと対話できない? 質問の前でも後でもいいから、「自分はこういう考えだ」と表明することは礼儀のひとつだと思います。質問するだけして「自分の立場は内緒❤」というのは、一般的な会話の場面でも嫌われる対応だと思います。私は可能な…

ルールとは何か

世の中には至る所にルールがあって、「守らなければならないもの」として定められている。だいたいは、誰かが明確に決めたものだ。まあ、暗黙のルールなんてのもあるけど。 ルールと混同されてしまいやすいものに「推奨」というものもある。「いけないわけじ…

「哲学に対する誤解」という問題

哲学には、社会的評価に関わる問題がある。 それは以下のような問題だ。 哲学は役に立たない 哲学はやらなくてもいい 哲学をやると気が狂う これについて、ひとつひとつ述べて行く。 1. 哲学は役に立たない この意見の背景には、哲学は一般的な生活の問題を…

意見を述べることについて

私は、「様々な批判に耐えてきた、あるいは今後も耐えられる、質実剛健な観点や解釈」を好む。逆に私は、「単なる思いつきや決めつけ、独自色が強くて他人が納得しにくい意見」を好まない。これを別の言葉で表現すると、「偏見」だ。私は偏見という言葉が嫌…

信用創造の嘘

世界経済の軋轢は、信用創造というまやかしによって生まれている。 どういうことかというと、単純化して説明すると以下のようなことだ。 ごく狭い範囲内での信用創造はできるが、範囲外から見た場合に「総体の信用」に増減はない 社会全体のコスト比率が変わ…