『愛するということ』について(2) 配慮する
さて、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』について、いよいよ書きたかった本題に入る。フロムのいう〈愛の能動的4つの性質〉、配慮・責任・尊敬・理解について個別にみていこう。
- 作者: エーリッヒ・フロム,Erich Fromm,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1991/03/25
- メディア: 単行本
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この〈愛の能動的4つの性質〉は、原書では次のようになっている。
- 配慮 care
- 責任 responsibility
- 尊敬 respect
- 理解 knowledge
訳語はもちろん間違いだとは思わない。一般的にはこの訳語で問題はないように思う。しかし、言葉の意味は多様であって、解説なしでは誤解を防ぐことはできないように思う。
配慮する(care)
配慮、気くばり、思いやり。
私の印象だけど、これらの言葉はあまり深く理解されずに「なんかよいもの」というあやふやな概念として使われているように思う。配慮という言葉を使う限り、受け取る人によって具体的なイメージが異なってしまい、どうしても誤解されやすいだろう。ましてや、深く考えず形だけ配慮しようとすることは、フロムが言う配慮とはまったく異なるもののはずだ。
さて、これについてフロムは次のように書いている。
もしある女性が花を好きだといっても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花にたいする彼女の「愛」を信じることはできないだろう。愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。この積極的な配慮のないところに愛はない。
p.49 (下線筆者)
愛する者の生命と成長を積極的に気にかける、フロムはこれを「積極的な配慮」と呼んでいる。
積極的な配慮。それを日本語ではなんと表現するか。私は慈悲が適切なように思う。
慈悲というのは、慈と悲が組み合わさったものだ。
慈とは慈しむこと。なにかの幸せを願い、助けること。与楽(よらく、楽を与える)のこと。
悲とは悲しむことではなく、憐れみのこと。悲しみと憐れみの両方が合わさったような概念のことだ。抜苦(ばっく、苦を抜く)のこと。
フロムのいう積極的な配慮は、まさしくこれではないだろうか。相手の幸せを願い、苦しみや悲しみを軽くしてあげたいという意志。つまり、相手の幸せがどういうものかを考えずにはいられず、相手の悲しみや苦しみの原因を取り除く方法を考えずにはいられない心のありようだ。そうであれば、単に気にしてあげるということではない。
この"積極的な配慮"に限っていえば、そのまま"慈悲"と意訳しても差し支えないように思う。
また、これは蛇足かも知れないが、"彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら"という例をあげて、彼女の愛を信じられないだろうと言っている。これは、愛は普段の思いが行動で表現されるものであって、言葉で表現されるものではないという意味も持っている。
もうひとつ、フロムは愛と労働は分かちがたいとも言っている。
愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働は分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。
p.50
これも誤解を生む表現だ。
この労働(labor)は義務とか苦役とかの意味ではなく、〈苦心すること〉の意味だ。しかし日本語で労働という言葉にしてしまうと、なんらかの強制力や楽しくないイメージを伴ってしまいがちだ。しかしそうではない。
だからこの部分を私が意訳すると次のようになる。
愛の本質は、心を砕くことであり、何かを育てることだ。このふたつを分けて考えることはできない。人は何かのために苦心することで愛し、愛するがゆえに苦心するのだ。
フロムの言う〈care〉に"配慮する"という訳語を当てるのは、一般的な翻訳としては間違ってはいないとは思うが、その意味を単なる思いやりと解釈するのは浅すぎるだろう。
また、その意味からすれば"慈悲"と言い換えても差し支えないとも思うものの、"慈悲"という単語は日常的には使われておらず、意味するところが伝わりにくい。
この部分を読んで私が思うのは、愛の本質のひとつは、相手の幸せの希求だということだ。相手の幸せな状態(ハピネス)や良好な状態(ウェルネス)を願い、現在そうであるか気にかけること。幸せ多く、苦を少なく、育む。
以上のことから私は、この場合の日常的な日本語訳として適切なのは〈責任を持って手入れする〉ではないかと思う。なんとも長い意訳になってしまうが、次の〈責任〉との関係が暗示されてそれはそれで良いのではないかとも思う。
この節の要点:
- 愛の本質のひとつは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかける慈悲心
- 愛の本質のひとつは、〈責任を持って手入れする〉こと