「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

答える前に「いろいろ」考えてみた?

「重要なのはAかBか」


たとえばこのような問いがあるとして、Aの方が重要だとか、いやいやBの方が重要だとか、はたまたAもBも重要だとか答えたとすれば、その回答者はろくに考えていない。自分の中にある「それっぽい答え」を探してきて答えているだけだ。

何か答えられたら、それで考えたことになるわけじゃないだろう。

この問いは、「AとBの重要度を明確にして順に並べよ」と要求している、並べ替えの問題と考えることができる。

ところが、現実的にはAとBの重要度に差をつける妥当な理由がなかったり、両方ともに同レベルであることが重要な場合もある。単純な、いる・いらないという観点では優劣をつけられない。だから問題が間違っているか、あるいは要求を満たせるような答えがそもそも存在しないとも言える。

どうにかして真摯に答えようとすれば、この場合の重要度が何を表すかを再定義したり、答えを求めている理由を明確にすることでより詳細な真相に迫ろう(答えよう)とすることはできる。その答え方も単純に答えるのではなく、

 AからB、またはBからAという「並び順が重要」

  とか、

 A引くBや、B引くA、あるいはA+Bの「組み合わせが重要」

という答えが適切かも知れない。
そういう可能性があるかな?って、いつでも考えてるだろうか。

ほかにもあるとは思うけれど、これ以上は、AやBという抽象的なものではなく、具体的な問いでないと想像しにくいだろう。

具体的な問い、たとえば次のような問いが考えられる。

「燃焼させるために、可燃物と酸素のどちらが重要か」

燃焼には、可燃物と酸素と点火源の3つが必要だ。だから可燃物と酸素はどちらも燃焼に必要であり、いる・いらないという意味での重要性に優劣はつけられない。しかし、燃焼の質はどうだろうか。燃焼の質など、問いの条件にはない。たしかにそうだ。しかしたとえば、一瞬だけの燃焼でよいのであれば、可燃物の質よりも酸素の濃度の方が重要と言えるかも知れない。長時間の燃焼であれば、酸素の濃度よりも可燃物の量や質が重要と言えるかも知れない。

かも知れない、かも知れない、かも知れない。

問いの中に明示されていない条件によって「答えの適切さ」が十分変わりうるのであれば、判断に必要な情報や条件が問いの中に含まれていないということになる。

言い換えれば「問いが不十分」ということだ。

どのような問いに対してだろうと、可能な限り詰めた回答を目指さず、安易に回答してしまう姿勢には「考えるというプロセス」があるようで、無い。たいていの人はそんな指摘をされたら、いいや自分は考えたんだって言うんだろうけど、確信してようと言い張ろうと泣き叫ぼうと無いものは無い。

だって、そのままじゃ答えられないはずの問いに、安易に答えちゃったわけでしょう?
そういうの「当てずっぽう」って言うんじゃないかな?

安易に答える前に、その問いが求めている答えの形や、求める理由を想像してみることは、考える上でとても重要なプロセスだ。

もしそのプロセスを意識していないのだとしたら、問いに踊らされていると思って間違いない。


さて…

あなたは「いろいろ」考えてもいないうちから、何か答えようとしていないだろうか?
もしもそういう自分を意識していないんだとしたら、あなたが考えたなんて私にはとても信じられない。