「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

ある日の回想①

わざわざ落胆する必要もないことで落胆してしまった。

哲学カフェをやるつもりなんだろうと思って見ていたら、ルールはおろか進行方向も決まっておらず、まったく関係ない話題が錯綜するのは大歓迎とか言いながら、「ここでは対話をして欲しい」と言っていた。それぞれが思い思いに自分の話したいことを話し、ひとつの話題にみんなが参加して盛り上がっていく…なんてことがないのだ。

そこの主催者が対話をどういうものと定義しているのか、私にはわからなかった。

 

それでも眺めていたところ、場は精神の安定についての話題になり、「虐待されて育った人が安定的な人格を持てるのは、おそらく3%くらいだと睨んでいます」「自己肯定感はよく生きるために必須ではないと思う」などの言葉が飛び交い、一切の根拠も説明も示されない妄想博覧会だった。

 

彼らが哲学と呼ぶものが何なのか、私にはわからなかった。