わんこ先生のざれごと

What A Wonderful Bullshit World !

闇の中の仕様書

世界は「仕様書のないシステム」であり、多くの学問は「システム攻略マニュアルの作成」を目指している。

しかし哲学が目指しているのはマニュアル作成ではなく、推論と検証を重ねながら実装を見抜いて作る「妥当な仕様書の作成」だ。この点は科学や数学も同じだ。ただし統計学は除く。私がそう思っているだけだが。

これは「詳細がわからないシステムのトラブルシューティング」にとても良く似ている。ああでも、今回はその話をするつもりではない。

仕様書として成り立つためには「原理」や「仕組み」として語られなければならず、こうしたらこうなるという「場合の説明・対処法」の羅列で終わってはならない。場合の説明の羅列で終わりがちなものの代表例は経済学や社会学など、そして統計学だ。もちろん私が思っているだけだが。

また、原理不明な魔法の箱を論拠にしてはならず、「誰にでも理解できる論理」によって「説明されて」いなければならない。原理不明な魔法の箱を根拠にしているものの代表例は一部の医者(医学ではない)とニセ科学、そして心理学だ。もちろん私が思っているだけだが。

といって仕様書の様式の話ではないので、語り方は他人が理解できるものならなんでもよく、語られた時に不十分でも構わない。

なぜなら「自分がわかることしか語れない」からであり、その多くは仮説に過ぎないからだ。答え合わせをするための本当の仕様書はどこにもない。

では「仕様書のないシステムの仕様書」を作るために何が欠けてはいけないか。それは以下の点だ。

  • 原理や仕組みの推察
  • 根拠か具体例の提示
  • 適用可能な範囲
  • 範囲内の普遍性を示す検証

説明のたびに全部を「明示しなくてもいい」が、「求められた時には明示できなければならない」。

これらが欠けているなら何でも言えてしまい、しかもその妥当性はなんら説明されない。これらが欠けているものは「空想」や「放言」と変わらない。

それは「僕の世界観」でしかなく、少なくとも哲学ではない。

それを哲学と呼ぶなら「おれが言ってるんだから正しいんだよ!従え!」とかいうのも哲学に含まれることになる。そんな主張も、そんな主張をする人間も、一切信用できない。