「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

知らない人との対話

ある日のチャットで。

以下は、ある日に匿名チャットでしたやり取りを元に編集したものです。

匿名チャットなのでいきなり話が始まってます。

途中で話がとっちらかってるけど、でもまあ、対話ってこういうもんかなあと。

わんこ先生 こんにちは。
知らない人 こんにちは。週末は予定とかあるんですか?
わんこ先生 哲学カフェというところに参加します。
知らない人 初耳です。議論するんですか?
わんこ先生 ぐぐると結構出てきますよ。議論ではなくて、対話といいます。勝ち負けとか、正しい間違ってるとか、そういうのをしないですね。
知らない人 なるほど。
わんこ先生 色々な意見が聞けて、なかなか面白いですよ
知らない人 どんなことを対話してるんですか?
わんこ先生 いちおう「哲学」と銘打ってますので、哲学的な問いならなんでもいいみたいですね
知らない人 自分には難しそうです笑
わんこ先生 えーと、「いい人ってどんな人のこと?」とか「話が長い人の話は、どうして長いの?」とか、そんな感じのテーマですね。色んな人の視点があって面白いです。
知らない人 なるほど、ちょっと興味わきました!
わんこ先生 多角的に見ようと思っても、やっぱり自分視点じゃないですか。他人の意見は自分と違った視点なので、そこが面白いですね。
知らない人 広い視野で見れるって素敵ですもんね。もしよかったら、今、ここでやってみませんか?
わんこ先生 自分の意見に固執しないで柔軟になれますね。いいですよ、やってみましょうか。
知らない人 そうですね。お題はどうしますか?
わんこ先生 えーと、いい人にします?
知らない人 分かりました!
わんこ先生 「いい人ってどんな人?」
知らない人 考え中…
わんこ先生 本当に良いと思っている場合と、皮肉の場合とありますよね。
知らない人 そうですね。
わんこ先生 善意の人といっても、偽善者の意味もなくはないかなあ。あと、善意だけど迷惑な人とかもいますね。
知らない人 そうですね、善の押し付けではいい人にならない気がします。
わんこ先生 あ、そうですね。「押し付け」はいい人って評価になりにくいですね。いい人ぶってる人もそうかな。
知らない人 自分は純粋な善って存在してないとかんがえてます。
わんこ先生 ほう。それを聞いてみたいです。
知らない人 いい人ぶっている人しかり、自分に徳があるから善を働いてるひとしかり、それを受ける相手はいろんな人から貰う善と変わらないと思うからです。発信者の意図は、受信者が全く同じ通りに受けることはまずない、と自分は考えているので。
わんこ先生 なるほど。では、あなたの思う「善」を別の言葉にすると何と言えますか?
知らない人 「受け手にとってプラスなもの」です。
わんこ先生 なるほどなるほど。
知らない人 あなたはどんな考えですか?
わんこ先生 私は、善というのは善意すべてを指すものと思っています。偽善も善だし、失敗しても善だと思っています。悪は、悪意のことです。
知らない人 へー、なるほど。悪が普通になってるなっている人の善意...つまり嫌がらせですね、これも善意を持ってやれば善になるんですか?
わんこ先生 嫌がらせだと自覚してるなら善意じゃないですね。自覚していなくて、喜ぶと思ってやってるなら善意だと思います。
知らない人 相手が苦しんでもですか?
わんこ先生 ええ、そうです。その人にとっての善と、相手にとっての善がズレてることが問題であって、やってる方はホントに善意...ということは、よくあるのではないかと思います。
知らない人 なるほど。その場合、ちゃんと理解してもらえれば止めてくれると言うことですかね。私は他人に重きを置いて考えていて、あなたは自分の中に重きを置いている感じですかね。
わんこ先生 いえ、私は「誰にとっても絶対の善」はないと思っているだけです。本人の思う善が、相手の善とは限らない。だから、こっちが善と思っていて相手は悪と思っているというズレが、往々にしてあるもんだって思ってます。
知らない人 なるほど。でも私は、絶対的な善はあると思っています。
わんこ先生 ほう、たとえばどういうものですか?
知らない人 少しの量のごはんなど、生きるために絶対に必要なものは存在が善なのかなと思っています。
わんこ先生 なるほど、「人を救うものが善」ということですかね。
知らない人 ええまあ。破滅思想の人とかいるので、「救う」となるとちょっと変わってくるかもしれないですけど。
わんこ先生 えーと、いい人って...からちょっと外れてきてますが、ひとつ聞いてみたいことがあります。
知らない人 はい、なんでしょうか?
わんこ先生 100人の飢えた人がいて、一人分のご飯がある時、一人分のご飯は争いのきっかけになると思います。それも善ですか?
知らない人 ちょっと考えさせてください。
わんこ先生 はいはい、いいですよ(^_^)
こうやって、自分なりに考えながら意見を言っていく、それが面白いですよね。
知らない人 ...考えてみました。自分の中の思想では善にならないです。資本主義としては善になるのかも知れないですが。
わんこ先生 なるほど。すると、少量の食料という話も、状況によっては善にはならないようですね。
知らない人 そうですね、自分の中のごはんの話は、「みんなに最低限ある時」しか考えられてなかったですね。
わんこ先生 私は、状況によって善いことって変わると思うんです。片方が善意でも、それが善になるかはわからない。逆に、悪意だったのに結果として助かったり。結果はわからないものなので、やろうとしたことが善意なら、その人にとっては善なのかなあ、と思います。
知らない人 ということは、善意から出たことは結果が伴わなくても本人には善だし、善意じゃなくても結果的に善になることもあるってことですかね?
わんこ先生 私はそう思います。要するに、「100%善」だけが善ではないって考えですね。
知らない人 なるほどー。
わんこ先生 この考えがいいかどうかはわかりませんが、いい人というのは、善かれと思って行動してる人のことかなと思います。超迷惑だったりしても(笑)
知らない人 それは、そうですね笑
わんこ先生 私は、自分から発信した善が、相手にも善として受けてもらえた時、純度100%の善になるのかなと思っています。
知らない人 善に優劣ってあると思いますか?
わんこ先生 あると思います。「より善い」というのがあります。
知らない人 あ、私もそう思っています。おんなじですね。
自分の考えを述べるのって難しいですね...。
わんこ先生 自分の考えを述べることは、難しいけど楽しいことだと思いますね。ところで私は、幸福は衝突すると思っています。
知らない人 幸福は公約数みたいってことですか?
わんこ先生 いや、二人だけ生き残って、食料は一人分しかない。食べられれば幸福ですが、食べられるのはどちらか一人だけ。いわゆる「しょうがないこと」ですね。このようなケースは日常的にあって、それを「幸福の衝突」と私は呼んでいます。
知らない人 海外だとあるんですかね。
わんこ先生 ああそうか、食料の例だとイメージしにくいですかね。
えーと、好きな女の子とかでも取り合いになっちゃうことってあるでしょう? あと、金メダルとかもみんなと分け合えないです。そういう感じです。
知らない人 食料の話は、他人となら衝突するかもしれないけど、相手が恋人とかなら話は変わるんじゃないかなって思いました。
わんこ先生 ああ、それはありますね。恋人とか家族なら、衝突はしないかもですね。
知らない人 そうです。でも幸福がぶつかり合うって言うのは少しわかった気がしました。
わんこ先生 ちょっと善の話に振れすぎてるので、「いい人」に戻しましょうか。
知らない人 ごめんなさい笑
わんこ先生 いえいえ。ここまで話してみて、「いい人」のイメージに何か変化がありましたか?
知らない人 そうですね。
わんこ先生 どんなイメージですか?
知らない人 自分に害を与えるとか自分に興味ない人は「いい人」ではないのかなって感じました。逆に、自分に施しや愛情を与えてくれたり関心を持ってくれる人が「いい人」かなって。
わんこ先生 なるほど。「自分にとってどうか」が基準になるという視点ですね。
知らない人 まだ粘土みたいにぐちゃぐちゃしてますけど、、、
わんこ先生 急がないでモヤモヤしながら考えてみましょう。ところで「都合の」いい人っていますよね。自分にとって利用できるとか。
知らない人 そうですね。
わんこ先生 そういうのも、いい人って呼ばれたりすると思います。総合して考えると、「自分視点で利益がある人」ってことになりますかね。
知らない人 相手が自分に良かれと思ってやっている時、自分との関係ではいい人で、他人からしたらいい人ではなくなっちゃうと思うんですが...うまくまとめられないですけど、私はそう思いますね。
わんこ先生 いいですいいです、うまくまとめることが目的ではないです。
知らない人 こんな感じで考えてると、どんどん自分の意見が変わっちゃいますね。
わんこ先生 それがいいんですよ。自分の意見があるようでいて、色々話してみると、実はそれほど明確ではなかったりします。
知らない人 話してみると、あいまいですよね。
わんこ先生 また、他者の意見を聞いてみると、触発されて頭が回転してきますよね。刺激を受けて、楽しんで、色々考える。それで、意見を更新していけばいいんですよ。「でも自分の考えはこうなんだ!」って更新しないで損するのはその人なので。
知らない人 かちかちの脳より柔軟な脳でいたいですね。
わんこ先生 ええ、そうですそうです。
知らない人 ちょっと純粋に気になったんですが、損するのはその人って考えは切り捨てですか、思いやりですか?
わんこ先生 私は「事実」だと思っています。しょうがないことかな、と。自分の考えを更新しないというのは、当人が決めますよね。他人が左右できないので、損するのも得するのも自分じゃないですか。
知らない人 なるほど、そこに感情は存在してなさそうですね。
わんこ先生 ええ。まさにしょうがないですから。
知らない人 しょうがないってさっきも使ってましたね(笑)。どこかで何かしらに諦めてる気持ちなんですかね?
わんこ先生 んー、たとえばすごい天才がいて、こうしたら絶対によくなる!って思っても、それが絶対に良い結果を生むとは限らないでしょう? なのにそれを他人に「押し付け」ても、押し付けられた方は気分が悪いです。
知らない人 ああそうか。絶対にいいってこっちが思っても、相手がそう思ってくれるとは限らないし、悪い結果になったら怒っちゃいますもんね。
わんこ先生 ええ、そうです。当たり前の話ですが、当人の選択権は当人にあると思っています。良くても、悪くても。私が良いと思っても、他者はそうではないです。それを決めるのは当人なので、だから押し付けられない。
知らない人 そうですね、自分と同じ考えの人なんてどんだけ少ないのか。
わんこ先生 そうそう。「対話」をすると、それがとてもよくわかりますよ。
知らない人 あー!そうですね!まして皆さん、色んな人生を生きてその考えに至ったわけですもんね。はー、すごい。
わんこ先生 対話のいいところは、色々な考えの人がいて、自分もその「色々な考えを持つ一人」なんだと気付けるところです。
知らない人 自分はかなり感情で動くタイプなのですごい新鮮ですね。
わんこ先生 お互いに対話しようって思っていると、いい感じになりますよね。でも、「間違ってる」とかは誰だって言われたくないので、そこは注意が必要です。
知らない人 自分は、間違ってるって言われるのはちょっと安心しますよ。
わんこ先生

え!そうなんですか(笑)?
「あんさん間違ってる!間違ってるよ!」とかですか?

知らない人 いやツッコミ欲しいとかじゃなくて(笑)。
指摘してもらえると、なんかこう、悪いものをそぎ落としてくれるような感じがするんです。
わんこ先生 なるほど。間違ってるって指摘に反発を感じるんじゃなくて、成長の糧にしてるわけですね。素敵です(笑)
知らない人 そこで残った林檎の芯みたいなのが本当の自分だと思うので、そこから肉付けしてこうかなって思っています。
わんこ先生 ふーむ、面白いですね。色んな人がいるなあ。
知らない人 今まで自分に嘘ばかりついて生きてきたのでそれをやめたくて、本当の自分を見つけるとしたらそういう方法がいいかなって思ったんです。
わんこ先生 なるほど。ちょっと対話からそれてしまいますが...「本当の自分」というのはどういうものだとイメージしていますか? あなたにとっての、ではなくて、誰にとってもという意味でです。
知らない人 文字で表現すると「怒」ですね
わんこ先生 儒学ですか?
知らない人 儒学? ごめんなさい、あんまり詳しくなくて...。
わんこ先生 いえいえ。孔子が、人生で一番大切なことは?と聞かれて、「其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ。」と答えたという話があります。
知らない人 有名な言葉ですね。
わんこ先生 恕という言葉は普通はあまり使われないので、それかな?と思いました。
知らない人 「恕」じゃないです、「怒」です(笑)。おこるとか、いかりの方です。
わんこ先生 あ、ほんとだwww
知らない人 私は人間を、怒りを動力にして動くロボットみたいなもんだと思ってます。
わんこ先生 なるほど。
知らない人 それだけだと錆びついちゃうので、たまに幸せも欲するんですけど。
わんこ先生 感情には怒りの他に、楽しみとか喜びもありますけど、それは?
知らない人 私の考えではエネルギーにならないです。エネルギーじゃなくて、潤滑油みたいな感じですかね。
わんこ先生 なるほど、面白いですね。
知らない人 あなたはどうですか? 本当の自分ってどういうものだと思いますか?
わんこ先生 私は、私の幸せを知り、それを素直に求めることを信条としているんですが、人間はみんなそういうものだと思っています。
知らない人 なるほど。
わんこ先生 私は自分が何を望むかをじっくり見て、それで本当の自分を見つけました。見つけ方は人それぞれかも知れないですけど、自分に向き合わないとわかんないと思いますね。
知らない人 それは、普段気づかないような、見えない幸せに気付けるようになりたいってことですかね?
わんこ先生 いや、私はすでに自分の幸せを知っています。自分の幸せを知ることが、本当の自分を知ることに繋がってるってことです。
知らない人 それを言えるって言うのは尊敬します。
わんこ先生 いやー、うーん、ありがとうございます(^_^;)
知らない人 面白いなあ。調べてみたら、哲学カフェ近くにあるみたいなので今度参加してみます!
わんこ先生 おお、それはよかった。
知らない人 問われたことに答えて、新しい問いがでてくるのを人間だけで完結してるので、ヒトってすごいなって思います。自分も答えられるようにがんばってきます(笑)
わんこ先生 どんな意見でも、あなたの本心を出せば得るものがあると思います。そんで、他者の意見を興味深いと思って聞いていれば、きっと楽しめると思いますよ。
知らない人 そうですね。
わんこ先生 まず楽しむ。これが一番だと思いますね。哲学カフェを楽しんで来てください。
知らない人 ありがとうございます! 長々と話してくれてありがとうございました。
わんこ先生 こちらこそ。楽しかったです。
知らない人 ではでは。
わんこ先生 はい、またご縁があれば(^^)/~~~

「尊重する」とはどういうことか?

「尊重する」ということについて考えてみました。

他者に対して「客観的に正しい」ということを主張したくなったら

まず、それがどんなに正しく見えようと、「自分が勝手に正しいと考えただけだ」ということを思い出した方が良いです。

「他者の的外れを批判しようとする自分の方が、実は的外れな考えを持っている可能性」を考えてみてください。「そうではない、実際に自分の考えの方が正しいのだ」と言いたいがために、論理や事例や有名な人の説を持ち出して補強しようとしても、たいていの場合にそれらは正しいと保証されていません。

自身の主張が正しいという前提を疑わない態度(スタンス、立ち位置)は、どれだけ誠実に振る舞おうとしても正しさ勝負につながっていくと私は思っています。そして、仮に正しさ勝負に勝ったとしても、その場の優越感を味わえる以上に得られることはないばかりか、その人間関係において相手からの尊敬を確実に失うことになります。

論理的正しさは、他者を納得させる絶対的な説得力にはならない

そもそも「客観的に(誰にとっても)正しい」ということはあるのでしょうか?
それは絶対に正しいのでしょうか?

これについて、私は以下のように考えています。

  • 論理的な正しさは必ずしも実際の正しさを保証しないし、妥当性も伴いません。単に論理的に正しいように表現することができるだけ。
  • だから、「この論理は妥当である」と判断するのは、妥当だと思う人が勝手にすることであって、万人に共通する絶対的根拠にはならない。

この私の考えが正しいかどうかは問題ではなく、そう考えることができる以上はそう考える人が存在するので、【論理的正しさは、他者を納得させる絶対的な説得力にはならない】のです。

論理を根拠にした「客観的に正しい」は、知的な仮面を付けた暴力

今の話を別の言葉で表現すると、「論理は絶対的な正当性を保証しないという価値観」ということになります。

そしてこれは、他者(自分以外の人)が持っていておかしくない価値観です。だから、「論理的に正しいから客観的に正しいのだ」と主張することは、この価値観の否定につながるために、感情的な対立が生まれやすくなります。

私は、「論理的に正しい」という不正確なものを根拠にして、対話の中で「客観的に正しい」ことを押し付けることを、【知的な仮面を付けた暴力】だと思っています。なぜ暴力かというと、これが他者の自由を侵害する(支配しようとする)行為だからです。

自分のエリアで主張するのはもちろん自由です。だけど、そんなのは他者との対話の場でしつこくやる必要がないわけです。他者に認めて欲しいとか優劣を競いたいとかであればしつこくやりたいでしょうけど、そうでなければ「私はこう思う」と述べたら終わりで、それ以上する必要はないでしょう。

仮に「客観的に正しい」ということがあったとして、「私はそう思う」以上のことを主張しても相手を説得する力にはなりません。相手が納得するかどうかは、相手が決めることだからです。

まとめ

この文章で言いたいことを簡単にまとめるとこうなります。

これは問題ない→ 【自分が「勝手に」正しいと思う】
これは問題ある→ 【自分が正しいと思うことを相手に押し付けて、相手の「勝手に」を変えさせようとする】

人には「自分の勝手に」する自由があります。
だから、他者にも「自分の勝手に」する自由があります。

私はこの「他者が自分の勝手にする自由」を守ることが、「尊重する」ということだと考えています。
 
 

君を愛してる。

どうして君は自分に魅力がないと思うのだろう?
おれからすれば、君はとても魅力的なのに。

たとえば、よく切れる刀があるとするよね?
それから、すっごくバランスの良いプロ用のハンマーがあるとするよね?

釘が打ちづらいからといって、刀に価値がないと思うかな。思わないよね。
切りにくいからといって、ハンマーに価値がないと思うかな。思わないよね。

モノにはモノの、人には人の、長所や使い所があるよ。短所にばっかり気を取られてたら、せっかくの長所を見失っちゃうよ。

誰かと比較して、一番じゃなかったら価値がないのかな?
君より美しく、頭がよく、できる人がいたら、君は価値がないのかな?

違うよ。
君には君の魅力がある。

君より美しい人がいる。だから?
君より聡明な人もいる。だから?
君より要領のいい人だっている。だから?

あっちの方がいい、いやこっちの方がもっといいって、あっちこっちに目移りしてたら本当の魅力なんかわからないよ。

若い方がいいだろうって?

過去の君と、今の君、比べたらどっちがいいと思うのかな。
若い頃の君はたしかに魅力的だ。でも、今だって魅力的だ。
年取ったら年取ったなりに、痩せたら痩せたなりに、太ったら太ったなりに、欠点なんか探せばいくらだって見つかるよ。でもそれが何なの?

若い頃の君より、今の方がずっとずっと、おれのことがわかってるだろ?
それは簡単には手に入らないものだよ。

君の笑顔だってそうだ。
出会った頃はその魅力にやられちゃったけど、今の方がその何倍も魅力的だよ。

それがどうして君にわからないんだろう。

達人ってね、道具を選ばないって言われるんだ。
そりゃあもちろん、いい道具の方が使いやすいさ。
でもね、達人はどんな道具でも使いこなしちゃうんだ。
なんでかわかるかな?
どう使えばその道具の良さを引き出せるか、それを見るからだよ。

弘法筆を選ばずっていうコトワザがあるじゃない?
きっと、いい筆ならいい筆なりに、ダメな筆ならダメな筆なりに、最大限にその良さを引き出すんだと思うよ。
そして、いい筆で書いたものも、悪い筆で書いたものも、その筆だけの味わいが出せるんじゃないのかな。

一面的な優劣で比べることもできるけど、それ自体の味わいを比べることはできないよ。

世界中の誰だって、おれの代わりなんかできない。
おれの魅力はおれだけのものだ。
おれが魅力を発揮すれば、君にはそれがわかるよ。

そして、それは君だって同じなんだ。
君の魅力は君だけのもの。おれはそれを愛してるんだ。
愛してる。
愛してる。
君のなにもかもを愛してる。
もっともっと光り輝いて、もっともっとおれを魅了して欲しい。


元気を出して。
いつもありがとう。