「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

ある日の回想③

野球が好きな人がいて、「自分は本気で真面目に野球をやりたいと考えているんだ!」と言いながら、やっていることが

・僕の考えたすごい魔球(投げられない)
・打ったら三塁に走ってもいい理由を考える
・特定の場合だけ4アウトまで認めるべき理由を考える
・野球の楽しさを語り合う

とかだったら、それを指して野球をしているなどとは言わない。

よっぽど天才でもなきゃ、練習してないのにうまくなるわけねーじゃん。素振りや捕球や送球の練習をしていない人を見て、誰が、本気で、真面目に、野球をやりたいんだなって思うんだよ。うまくなろうと努力してないのに、本気も真面目もないじゃん。

現行のルールに疑問を抱いたり、もっといいルールにしようって考えるのは勝手だけど、ルール変えちゃったら野球とは別物になるかも知れない。というかそもそも野球のルールについて語り合うことを「野球をしている」とは言わないだろうし、野球の練習や作戦会議や試合をしない人を野球選手とか野球人って呼ばないだろう。

そういうのって野球好きとか野球ファンって言うんじゃないの?いや、野球ファンですらないかも知れない。辛い練習という努力から逃げつつ、口八丁で野球やってる側に入りたいだけじゃないの?

 

※野球にたとえているのであって、野球の話がしたいんじゃないです、念のため。