なぜ人を殺してはいけないか
人は殺していい。殺したければ。
盗んでもいい。盗みたければ。考えに規制を設けない。
そうやって考えを進めて、自分がしたいこと、したくないことを考えていくと、殺して復讐されるのやだな。っつーか人殺しって言われるのやだなとか、自分がやらない理由ができてくる。
そうやって「社会のルールだから」という他人の価値観ではなく、「社会がどうだろうと自分が嫌だから」という自分の価値観になる。
自分が本当に欲しいもの - わんこ先生のざれごと
私は以前にこう書いた。
幸せになるためには他者の価値観やルールを無批判で受け入れることをやめ、じぶんの明確な意思として生き方を構築し直すことが大切なプロセスであり、そのためにはすべての規制を一旦はずして考えるのが良い方法だと説明するためだった。
だが、実際のところ「人を殺してもいい」のだろうか?
もちろん、いいわけがない。
では、「なぜ人を殺してはいけないか」のか
お互いの生命を脅かさないことがコミュニティ参加の暗黙の条件だからだろう。ただそれでは説明の根拠として弱い。
そのため、暗黙だった条件を整理したのが人権思想であり、大前提として明文化したものが憲法や人権宣言などだ。暗黙の条件だけでは不明瞭だし、「どこに書いてある?ん?ん~??」とかいうバカが後を絶たないから作られたものだろう。今でも後を絶ってないが。強制力としての罰則は、コミュニティが保証する権利のいくつかを制限されることだ。場合によっては、生きる権利も制限される。
何かを根拠にして殺してはいけない理由を上げるとすれば、明文化されたものがそれに当たるだろう。個々人のじぶんルールでは様々な理屈があるだろうが、それは個人の見解でしかない。共通化されたものとして通じるのはやはり明文化されたものだけだと思う。
ただし、人間以外にルールを決めるものはいないのだから、すべてのルールは人間が決めた約束事に過ぎない。神が決めたのでもないし、歴史の最初からあるものでもないし、絶対のルールでもない。
暗黙の条件が成立するためには
人類はコミュニティの在り方や個人の在り方を哲学してきていて、その背景には幸福の追求があって、最大多数の最大幸福と個人の幸福の対立やら両立やらを模索してきた。コミュニティの幸福と個人の幸福とが相容れない場合の妥協点とか、基本的な生き方の基準とか、歴史が始まってからずっとテーマになってると思う。殺す殺さない以外にも暗黙の条件はいくつもあって、それらは複雑に関連しているのだろう。何もかもを矛盾なく完全な整合とわかりやすさをもって明文化するには、まだまだ不明なことだらけなんだと思う。
参考までに、以前に書いた「幸せに生きるための三原則」と対比させて書いてみよう。
第一に、じぶんが幸せでいること
第二に、第一に反しない限り他人の幸せを尊重すること
第三に、第一に反する時にも他人が幸せになる権利を否定しないこと
幸せに生きるための三原則 - わんこ先生のざれごと
これに対して...「不幸を撒き散らして生きる三条件」とでも題そうか。対比したのがこちら。
第一に、じぶんの幸せを突き詰めて考えない(じぶんの幸せな状態がわからない)
第二に、他人の幸せを尊重しない(他人に関心がないか、じぶんの利益しか重視しない)
第三に、他人の幸せになる権利を否定する(恨み妬み劣等コンプレックスなど)
「幸せに生きるための三原則」は、言い換えれば善良に生きようとする具体的な指針だ。
「不幸を撒き散らして生きる三条件」は、善良に生きることを模索しない人に共通する特徴だ。
ルールだけでは説明しきれない
コミュニティの中では必ず幸福の衝突が発生する。
誰かの幸せの達成は、誰かの幸せの妨害に繋がってしまう場合がどうしてもある。善良に生きることを志向する人同士では妥協案も譲り合いも生まれるだろうが、そうでない場合は奪い合いか一方的な搾取になるだろう。そうして諍いがエスカレートする。
人間は理由を求める。納得したいんだ。どうすれば一番いいのか知りたいんだ。「なぜ人を殺してはいけないか」という当たり前過ぎる問いが度々出てくるのは、誰もが納得する明快な答えが目立つところに見当たらないからだ。
もちろん明文化が不必要だというつもりはまったくない。しかし明文化が解決するのは「明文化されていないという問題」だけではないかと思う。「決まっているからダメなんだ」というだけではなく、決まっているのはこういう理由だからだという充分な説明が必要なのだろう。
それは「じぶんの幸せをどう考えるか」に集約されると、私は思っている。
追記
明確じゃないって意見がありそうだったので別ページに書きました。
なぜ人を殺してはいけないかの答え - わんこ先生のざれごと
明文化されているルール
蛇足だけど、明文化されているルールを書いておく。
日本国憲法
国際条約
第三部 第六条
1 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。(市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約))