「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

否定や悪い評価は、じぶんにとってなんなのか

誰しも悪い評価を受けたくありません。 だから悪い評価を受けると「それは違う!」と抵抗しようとします。でもそれは事実とは違います。悪い面はあるのです。多くの場合、「それは誰にとって悪いのか」ということが不明確ですが、たいていは「評価した人にと…

じぶんを尊重することの大切さを知る

じぶんを尊重することは、自信を持つこと、幸せを感じること、そして他人を尊重することの出発点だ。自信を持ち、素直に幸せを感じ、他人に振り回されず、またじぶんの欲にも振り回されないためには、じぶんを尊重していなければならない。じぶんを尊重でき…

欲望は是か非か

とかく、欲望は悪いものと思われがちだ。 しかし欲は悪いものだろうか?食欲だって睡眠欲だって欲だ。無ければ死んでしまう。 性欲だってなければ人類は絶滅してしまう。暴飲暴食、惰眠、淫乱。 すべて欲に振り回され、節度がない。他人の持ち物を欲すること…

味わい尽くし、感じ切る

価値とは人間(主観)が決めるもの。人にとっては認識したものだけが価値になる。 認識し、その価値を当人が決めることによって価値が生まれる。認識しなければ、当然、価値が決まることもない。 面白がることが、面白さの根源。面白がろうとしなければ、ど…

楽しむのもスキル

多くの人と話す機会を持つと、色んな反応に出会う。楽しいと言われることもあれば、つまんないと言われることもある。話してることはあんまり変わらないのになんでなんだろう?考えてみると、おれはだいたい誰と話してもそれなりに楽しく話せる。おれが楽し…

贈り物

プレゼント。 愛情という武器を手に、相手の心という陣地に踏み込む攻撃である。 心に踏み込んで陣地を奪うことを目的とする。 プレゼントは相手に喜んでもらうことが目的だ。 贈り主が趣味の押しつけをすることではない。 もちろん、値段の高低が愛情のモノ…

自己犠牲は愛ではない

自己犠牲というのは、「誰かの幸せのために自分が不幸になっている」ということだ。 たとえば、子供たちのために自分が。 たとえば、親のために自分が。 自分が犠牲になっているという言い分は、「誰かの幸せは私の自己犠牲のおかげだ」と言いたい気持ちや、…

料理は愛情、愛は理解

「料理は愛情」 言わずと知れた、料理研究家の結城貢の名言。 しかし広まっているのは誤解ばかりのようだ。 愛情を込めるというのは、「美味しくなーれ♪」と思いながら料理することではないし、好きな人のことを思い描きながら料理することでもない。 【自分…

幸せになる技術の話(β版)

怖がってばかりいる人は幸せになれない。 傷つくのが怖くて他人に期待できない。だけどそれを認めようとしない。 そうすると傷つくのが怖いという事実にフタをして、別の理由を探す。 そうやってだんだんと、じぶんの本当の気持ちがわからなくなって行く。 …

自分が本当に欲しいもの

人は「なに」で幸せを感じるのか。お金があったら? いい女(男)をモノにできたら? 頭がよかったら? スポーツで勝てたら?そうではない。それは表面の話。人は「自分が欲しいと思うもの」を手に入れた時に幸せを感じるのだ。誰にどれだけ褒められようと、ど…

自分で決めないと他人のせいにしたくなる

自分で決めないということは、自分で選ばないということ。自分で選んでいないのだから、自分には責任がない。 思い通りの状況でなければ、それは自分以外のせいに決まってる。標的を見つけたが最後、疑わない。そいつが悪いに決まってる。なぜなら自分が悪い…

なんのための人生か(改訂版)

自利利他(じりりた)という言葉がある。仏教用語。元々、伝教大師最澄の言葉らしい。 自利利他の「利」とは、仏教用語の「利益(りやく)」であり、幸福という意味だ。つまり、自利とはじぶんの幸福ということであり、利他とは他人の幸福ということだ。 自…

愛の正体

執着。 もっと言えば関係そのもの。そもそも善悪で判断するものではなく、向けられる感情によって見え方が違ってくるもの。 善意の愛の形として想像されるものは、親子の情や恋愛感情などと思われる。対して悪意の愛の形として想像されるものは、恨みや憎し…

悩んでしまうのはなぜなのか

「悩んでいる」 「ずっと考えてるけどどうしたらいいのか」 本人は「悩んでいる」から「考えている」と思っているんだろうけど、悩むというのは考えてはいない。それは迷いだ。 悩みの原因の大部分は「決定しない」ことにある。決定を保留しているからいつま…