「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

会う、逢う、遭う

人や出来事と対面する意味での「あう」にはいくつかの漢字がある 。それぞれ以下のような違いがあるように思う。

 

…集まる。会う意思が有る。

…運命的な要素。逢う意思は問わない。

…偶然的な要素。遭う意思は無い。

 

逢うは、逢瀬のように意思がある場合もあれば、巡り逢いのように意思がない場合もある。

また、""が付く漢字は「道を行く」の意味があるので、運命の 流れの中での【出逢い/出遭い】という意味合いもあるように思う 。しかし"会"には運命や偶然の要素がない。

言葉は時代と共に変化していくものだしあまり厳密に意味を縛るの もよくないとは思うけど、そもそも籠められた意味というのもあって、似たような意味でも違いがあったりする。その違いに気づいたり、気づいた違いを無視しないで使い分けたりしないと、意味は豊かにならない。

単に言葉の意味が豊かにならないだけではなく、言葉によって作られる人生も豊かにならない。言葉の意味に敏感になることは人生を豊かにし、幸せに気づきやすくなる。

ただし、言葉の意味に敏感になることは、言葉の原義に厳しくなることとは違う。自分が使う時には意識して使い分けるけれど、他人が使う時には寛容になった方がよい。言葉の意味を豊かにしたいの は「自分の勝手」だからだ。特に日常会話では、言いたいことが通じれば細かいことはなんだっていいんだから。