「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

共感について

一般に使われる「共感」という言葉には、二種類の意味があると思っている。

  1. ある意見や観点について、納得感を得たという意味で使われる共感
  2. 他者の感情について、同じように感じるという意味で使われる共感

私は、1.の共感については、主観的な意味が強く、他者の考えに拠らずに成立するものだと思うので、まったく異議がない。

しかし、2.の共感については、「他者の感情と同じ感情を持った」という意味になるので、まったく賛成できない。ただの幻想だと思っている。

他者がどんな感情を持ったのか、どうしてわかるのだろうか?
「私」がそう思っているだけで、他者の感情を誤解していないとどうして言えるのだろうか?
ここに私は、「私は他者の感情がわかるのだ」という傲慢さを感じるのだ。

「納得できる理由を推測することができる」というのであれば、疑う余地を含んだ推測なので違和感はない。しかし一般に使われる「共感する」という言葉の意味は、「疑いの余地がない確信」を前提として使われているように思う。

感情というのは原理的にプライベートなものであり、さらに本人であっても「その感情が意味する全部」を捉え切ることは難しいものであるのに、だ。

言葉で表現するために、大雑把に喜怒哀楽のように感情を区別してはいるが、実際の感情は「様々な性質が」「様々な強度で」複合的に発生するもので、一概に単語で表現しきれるものではなかったりする。

そんな複雑なモノを、しかも自分ではない他人のモノを、「わかる」と言うのは誠実ではない。

だから、他者の感情を直感的に理解したという意味で使われる「共感する」には、非常に違和感を感じ、信用できないものを感じる。