「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

信用シール

信用をシールのようなものと考えてみる。

自分が信用できると思ったものに、「自分マークの信用シール」を貼るわけだ。想像上のシールなので何にでも貼れる。人にも会社にもお金にも、言葉にだって流行にだって貼れる。

信用シールは無制限の信用じゃなくて、限定的な信用の意味で貼れる。たとえば、「暴力を振るわない」という信用シールとか。 暴力を振るわないことは信用するけど、それ以外については特に信 用しているわけじゃない。自分の分は払う信用シールとか、 嘘をつかない信用シールとか、来週デートする信用シールとか。

それを貼るのも貼らないのも自分なので、貼りたければ貼ればいいんだ。もちろん貼らなくてもいい。自由だ。でも、貼っておくといちいち不安にならなくて済む。

信用シールは無言の約束のようなものだ。この信用シールはきっと破られないだろうって期待とも言える。丈夫なシールだったら、ちょっとやそっとのことじゃ信用シールは破れない。ぺらっぺらのシ ールだったら、ちょっとしたことでも破れちゃう。

信用シールは同じものに何枚でも貼れる。やっぱり信用できるな、もう一枚貼っちゃおう。もう一枚、ええい、もう十枚貼っちゃえ! なんてこともできる。

でも、何かの事情で期待通りにならなかった時、信用シールが破れることがある。薄いシールだったり一枚だけだったりすると、けっこう簡単に破れちゃうかも知れない。

信用シールが破れるとちょっと困ったことになる。シールを剥がせないからだ。つまり「破れた信用シール」が貼り付いたままになる 。もちろん、その上からシールを貼り直すこともできるけど、破れ ちゃったところにもう一度貼る気にはなかなかなれないかも知れな い。

他人が貼り付けたシールが見えることもあって、自分の信用シール を貼り付ける前の参考にすることもできる。たくさんの人の信用シ ールが何枚も貼り付けられていれば、信用できそうだから。特に自分が信用している人のシールなんか見つけちゃうと、「信用の連鎖 」で安心してよさそうな気がするんじゃないかな。

信用シールは、もちろん自分にも貼れる。自分に一枚も貼れなかったら寂しい。でも、シールを貼ってしまうと、自分の期待に応えられなかった時にシールは破れる。破れた信用シールは悲しい。 そう思うと、自分に信用シールを貼るのをためらってしまう。

信用シールは、もちろん他人からも貼られる。他人が自分にシールを貼ってくれないと悲しい。シールが貼られてしまうと、シールを破かないように注意しないといけなくなる。それはプレッシャーになっちゃうかも知れない。でもちょっと待って。本当はたいして信 用してないのにシールを貼ってくる人もいるかも知れない。その人 の都合で勝手に信用してくることだってあるかも知れない。「きっとこの商品を買ってくれる」信用シールなんか勝手に貼られても、そんなの破ったっていいんじゃないかな。

自分に貼られた信用シール、それは誰が貼ってくれたシールだろう ?

大切な信用シールがたくさん貼られてたら嬉しいよね。そういう大切な信用シールは、破らないように大切にするときっと嬉しくなる 。いらないシールは破っちゃってもかまわない。破れたシールが目障りだったら、自分の信用シールをその上に貼っちゃえばいいのさ 。