「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

若さと老い

現代の日本では「若さ」の価値ばかりが闇雲に高められているように思う。その反対に「老い」は悪と言わんばかりに敵視されている。老いに価値はないのか。

そうではあるまい。

生き物は必ず老い、いずれ死ぬが、未来につながる何かを残したりもする。若く未熟なものを導き、守り、得たものを伝えて今がある。老いと成長は切り離せない。

なぜ若さが求められ、価値あるものと扱われるのか。それは死から遠ざかりたい、老いによる醜さを認めたくない、減っていく可能性を認めたくないという思いからだろうか。

死がなければ生の意味が希薄になる。限られた時間だからこそ、生の意味を深め味わおうとする。若いうちには身に沁みて知ることは中々難しい。

老いによって容姿は変わる。身体機能も落ちていく。いつまでも美しく健康でない代わりに、老いとともに刻まれた変化は歴史と味わいをもたらす。それは裏打ちされた厳しさであったり優しさであったりもする。若ければどうしても未熟さが出るものだ。

「あと何年生きられる?」と考えれば、たしかに可能性は少なくなっていくようにも思う。しかし反面、それまでに得たものは老いとともに得たのだ。どっちにも転ぶ可能性というリスクではなく、結果という財産に変化したものだ。得られたものの価値を余すこと無く見てみれば、それはそれで唯一のもので、もっと良くない結果だってあり得た。可能性は結果を保証するものではない。

若さには若さの、老いには老いの、それぞれの良さがある。その良さを活かさず、闇雲に若さを取り戻そう、若さを装おうとするのは、人間の成熟を遠ざける価値観だと思う。

熟成し、深く濃く、唯一無二の味わいを持つ。
それを老成と言う。
その価値は、若さと比べて劣るものではないと思う。