「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

贈り物

プレゼント。

愛情という武器を手に、相手の心という陣地に踏み込む攻撃である。
心に踏み込んで陣地を奪うことを目的とする。

プレゼントは相手に喜んでもらうことが目的だ。
贈り主が趣味の押しつけをすることではない。
もちろん、値段の高低が愛情のモノサシになったりもしない。

何を贈るにしても、気持ちを形にして贈るものだ。
それはどれだけ受け手のことを考えたかだ。

受け手のことを考えているつもりでも、実は

「喜んでもらえるものを贈った自分は愛がある」

という自己アピールだったり、
自分が褒められることが目的になっている。

そういう自己アピールの手段としてのプレゼントではなく、
芯から相手に喜んでもらうための贈り物をするには、やはり受け手のことを知らなければならない。

人にとって喜びとは「想定外の幸福」のことだ。
想定外の幸福を与えるためにはいくつかの条件がある。

1. 相手の幸せを知っていること

相手が幸せを感じること、喜ぶことを理解していればいるほど工夫できる。
知らなければ工夫できない。
※自分が努力して手作りすることが親の喜びになる。
※自分の欠点が気にするほどのものではないと思えることが友達の喜びになる。


2. 相手の幸せがどうすれば高まるかを知っていること

より強く幸せを感じてもらうための条件を知れば、さらに効果的。
※親への感謝、労り、自分が幸せだということを形にする。
※自分が欠点だと思っていたことが実は他人から見ると魅力になっていた事実を教える。


3. 相手の幸せを高めるために演出すること

それが手に入ったらどんなに幸せだろうと想像させること。
困難であり時間がかかり近い将来に実現しそうもないと思わせること。
相手の幸せをより高める、いくつかの補足情報を付け加えること。
※子供は親の苦労がわからないもの。親は報われることを期待しない方がよいと思わせる。
※自分の欠点の魅力的な側面を印象づける。


4. 相手の期待をプラス方向に裏切ること

思ってもいない時、思ってもいない場所で、期待以上のものを。
※今。ここで。
※別れ際に。朝、目の前に。



別の言い方をすると、

時、場所、贈るもののすべてで相手の意表を突き、
「あなたの喜ぶモノ・コトを、私は知っているよ」
と伝えられるものを贈ること


に尽きる。

意表を突くためには、相手をよく観察しなければできない。
相手を観察し、理解しているからこそ意表を突くことができる。

そして品質。
この場合の品質とは、どれだけ感動的かという「感動の品質」のことだ。
喜びとはつまり、感動したということだ。
感動するポイントを刺激しなければ感動するわけがない。
感動は心を揺さぶること。それは想定の範囲内では起き得ない。
想定を裏切らなければならない。だから意表を突くのだ。
感動させる贈り物とは、贈り方まで含めてのことだ。

「喜んでもらえるものを贈った自分って愛がある」というのは自己アピールだと先ほど書いた。
つまり自分本位だ。自分が嬉しくなるためにしている。
これは同時に、相手に対しては喜ぶことを期待している。
そして期待したように喜んでもらえない時、不満に思う。

そうではなく、相手に喜んでもらうとはどういうことなのか。
それはつまり、

「私はあなたを理解しています」

と、言葉ではなく形で伝えるということだ。

理解してもらえた。

これ以上の贈り物などない。