自信の構造
※幸せの構造 からの続き
しかし自分のモノサシがわからない人がたくさんいる。
なぜわからないのか。
それは自分をよく知らないからだ。
自分が真に求めているものがわからない。
それでどうやって幸せになるのだ。
だから幸せになるためには、自分をよく知らなければならない。
そして、自分をよく知ることで最初の幸せが手に入る。
誰か(自分)に理解してもらえたという幸せだ。
人間には生きる目的が無い。
何のために生まれてきたということがないからだ。
何をやってもいい。それは、目標がない、とても心細い状態だ。
だから最初は他人を指針にする。これが他人のモノサシの始まりだ。
だけど大人になったら他人のモノサシはいらない。自分のモノサシで生きなければ幸せになれない。
もしかしたらこういう反論があるかも知れない。
それでも...人間は他人との関係に依存しなければ生きられない。
自分の立ち位置は、他人との相対的な位置で判断するしかないからだ。
自分の価値も同じだ。
他人にとってどうかというのは、それほど自分の存在意義にとって重要だ。
それは確かにそうだろう。
しかし、他人にとってどうであろうと「自分にとっての自分の価値」は揺らがない。だからまず、自分にとっての自分の価値を決めてしまうことだ。
おかしな表現だが、自分が死ねば自分も死ぬ。
そういう自分にとって最も重要な人物を、「価値がない」と思うのも、「価値がある」と思うのも、どちらもできるのだ。それなら価値があると思って生きた方がいいじゃないか。どうせこの世の価値なんて人間が決めてるんだ。自分にとって、自分以上に価値のあるものなんて無い。だったらそれを大威張りで認めてしまえばいい。
「おれは(自分にとって)ものすごく価値ある人間だ!」
自分にとってそうなんだから、誰かに文句を言われる筋合いはない。
これが「自己肯定感」であり、「自信」だ。
価値ある存在である自分が、他人のモノサシで生きなきゃいけない理由なんかない。
繰り返すが、自分の幸せは自分で決めるものだ。
愛の構造 へ続く