「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

回答例:幸せになる「見方」

人間にできるのは、「いかに幸せに生きて、満足して死ぬか」を考えることだけです。

さて、幸せになるためには、まず「身の回りの幸せ」に気づくことが必要です。その逆に、身の回りの幸せに気づかないと、他人の幸せを羨むようになります。こうなると大変苦しい。

自分の現状を「幸せではない」と評価することになるからです。

周りから見れば充分に恵まれていても、自己評価で「幸せではない」と思っている人は、誰がなんと言おうと「自分は幸せだ」とは思えません。なぜなら自分が幸せかどうかを決めているのは常に自分だからです。

裏を返せば、自分が幸せだと信じられれば、その人は幸せだとも言えるのです。ではどうすれば幸せだと感じられるのか。

幸せになるための本が世の中にたくさんありますが、共通して書かれているのは「感謝」についてです。幸せを感じるためには感謝する気持ちが必要だということです。

ただこれ、実はちょっと難しいのです。無闇に感謝してもいいんですが、それだと本質を勘違いしてしまいます。無闇にではなく、自分が素直に感謝できる点を探し、その点についてのみ感謝するということなのです。感謝できないことを無理に感謝することではありません。

具体的にどうすればいいのか。あなたには多分右手があるでしょう。そのことに感謝する。今、生きているでしょう。そのことに感謝する。そのためには、逆のことを具体的に考えます。

右手がなかったらどうなるのか。右手を縛ってみましょう。ものすごく不自由だということが実感できるはずです。

次は生きていることの逆...と言って死ぬわけにはいきませんから、「生きてるから味わえる良いこと」を想像してみましょう。楽しいこと、嬉しいこと。誰かと意気投合して楽しい。おいしいものを食べて嬉しい。そういう想像をすることで、それがひとつも味わえなくなると思ってみてください。生きていることに、少しは感謝できると思います。

年齢について考えてみましょう。

たとえば「もう40歳だ」と思うか、「まだ40歳だ」と思うかで大きく違います。よく耳にする言葉なので勘違いされてしまいそうですが、自分の価値を低く評価する理由なんてありません。40歳には40歳の魅力があり、20歳でその魅力を持つことは難しいのです。60歳にはまた別の魅力があるかも知れませんが、逆にもっと若さはなくなっているでしょう。「一番いい時」なんてものはありません。

大切なことは、「その時その時に持っている自分の魅力を発揮できるかどうか」なのです。
その自分の魅力を発揮する前に、自分を低く評価しては幸せになれる道理がありません。

貯金も同じです。
10万円の貯金を、10万円しかないと思えば不安になり不幸に感じます。10万円もあると思えば幸せに感じます。金額の大きさではなく、今の現実をどう評価するかによって受け取り方は変わってしまうのです。少ないと思えば、10万円あるのに有効に使うこともできず、ただ食いつぶしてしまうでしょう。
お金の価値を低く見れば、金額は同じでも価値の低いものになってしまうのです。

このようなことは、概ね「思考の癖」で決定されます。ですから、常に不満を持っている人は、どれだけ恵まれてもすぐに不満を感じる考え方をしてしまいます。「小さなことで満足し感謝する練習」をしてみることで、私の言っていることを実感できると思います。

一度きりの人生を、つまらない人生だと思うのも自分なら、素晴らしい人生だったと思うのも自分です。大変な不幸の渦中にある人でも、厳しい人生だけど大切な人に出会えて幸せだと思う人もいれば、自分は恵まれていないと不平不満でいっぱいになる人もいるし、周りの人を恨んで憎んで嫉妬して攻撃的になってしまう人もいます。あなたの人生はあなたが決めます。

もうひとつ。
「誰か」にとって真実でも、それが「自分」にとっての真実かはわかりません。「自分」が真実だと決めたものが真実です。もちろん誰かの言葉を真実だと受け入れてもいいですし、受け入れなくてもいいのです。意識して決めても決めなくても、「結果として決めているのは自分」です。

この「自分が決めていると自覚すること」が、幸せになるためにとても重要なのです。なぜなら、自分の幸せは誰かに決めてもらうものではなく、自分で決めることだからです。

あいつの責任、しょうがないこと、そう思えば自分の努力不足を責めないですみます。でも実は、たいていの場合に何かしら努力はできるのです。小さな努力、小さな成果かも知れません。でも積み重なると大きい。それを時間がかかるとか続けるのが大変だとか努力に意味が無いとかやるだけ損だとか、「自分」に言い訳をしてやらないのです。
やろうと決めるのも自分なら、やらないと決めるのも自分なのです。

そして、たいていの人が見ようとしていないことがあります。
努力して損することはありません。ちょっとの努力で宝くじのような成果を求める都合のいい考えをしているから損をした気になるのです。努力したら努力した分の成果はあります。ちょっとの努力ならちょっとの成果です。血のにじむ努力を続けた人には、それ相応に得るものがあります。
望んだものではないかも知れませんが、努力しなければ得られなかったものが必ず得られます。

すべて自分の責任だと心から思えれば、恵まれようと恵まれなかろうと、他人を恨み羨むことはなくなります。また、自分で決めたことに「都合のいい結果」を求めないという考え方も重要になります。

少しの努力で都合のいい成果を求めるのとまったく同じで、誰かに「してあげた」と思うとつい見返りを期待してしまいます。言葉に出さなくても、見返りがなければがっかりして、あいつはダメだと言いたくなります。このような考え方は Give & Take という間違った考え方が一般的で正しいと思われているためです。私は Give & Give が人間関係において正しいことだと思っています。

あげるだけでは損ではないか?と思うかもしれませんが、そんなことはありません。たとえば私は無償で相談を受けています。端から見ればバカみたいなことです。でも、「考えるきっかけ」をいただいているとも考えられます。考えるきっかけをいただいて、自分の考えを整理しなおして伝えようと努力する。これは具体的なお題があるととてもやりやすい。すべて自分のためなのです。

Give はそれ自体が自分のためなんです。感謝も同じです。

自分が「幸せを見つけられる視点を持つ」ためにすることです。身の回りの小さな幸せに気づいて感謝し、自分の人生を自分だけの責任と考える。これは言い換えれば、「今までの人生はすべて自分の責任だった。その中でいいことも悪いこともあった。だけどいいことに感謝しよう。失敗は繰り返さないようにしよう。避けられない不幸を誰かの責任にすることはやめよう。そこからまた頑張ればいい。自分で自分を幸せにしよう。」という考え方なのです。

まとめてしまえば簡単なようですが、誰にでも長年積み重ねてきた思考の癖があります。その癖をいきなり全部直すことは大変に難しい。だから重要な点を書いて説明してみました。ひとつだけでも実践してみていただければ、自分の中で何かが変わると思います。

ひとつひとつの見方を「幸せになる見方」に直していってください。
あなたがあなたの人生を幸せなものと思えれば、必ず幸福感でいっぱいになれます。