「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

何よりも幸せになることを求める

幸せになるために何よりも必要なことは、「必ず幸せになるやり方を心から欲する」ということだ。

「必ず幸せになるやり方」を知りたくて知りたくてたまらなくなれば、それがどんなやり方であろうと実行する。そして実行するから幸せになれるのだ。「あれは嫌」「それは嫌」と手段を云々しているうちは正しいやり方にたどり着くことはない。たとえ知っても実行しないのだから、幸せにはなるわけがない。

さて、その必ず幸せになる方法とはどんなものなのか。

愛が欲しければ愛を与える
感謝が欲しければ感謝する
尊敬が欲しければ尊敬する

とても単純なことだ。

「じぶんからは与えずに欲しがる」これが不幸の元凶だ。
簡単に言えば、他者を幸せにしようと努めること。それが自分を幸せにするのだ。

人間はたいして優秀じゃない。
いつも使っている言葉は、他人にも向くし、じぶんにも向く。
相手を選んでいるようで選べなくなる。
祝福の言葉は自分に返り、呪いの言葉も自分に返る。

「あいつなんか死ねばいいのに」という言葉を使っていれば、「私なんか死ねばいいのに」にいずれ変わる。だから良い言葉をしゃべり、感謝の気持ちで接し、愛を与える。相手は選ばない。誰彼かまわずに行う。対象が誰であろうと、その対象は実は自分自身だからだ。

相手を選んでいると、少なからず文句も出る。
だんだんと感謝しないことが多くなってくる。
その結果、感謝しないことばかりになり、不平不満、悪態が顔を出すようになる。
これでは幸せになる道理がない。

人によってやりやすい方法は異なるだろう。自分なりにやりやすい方法を見つけるしか無い。他人のやり方は参考にはなっても自分でやろうと思えるとは限らないのだ。自分が感謝できる方法は、自分自身で見つけるしかない。

おれの場合は、最も憎んでいる人に感謝することから始めた。
それから、感謝しようもないものに感謝することもやった。
おれを嫌う人。自分の体。心の中で声をかけ、感謝できる点を意地でも探して感謝することを毎日行った。感謝の形をした嫌味にならないよう、本当に感謝するように努めた。感謝することで彼らを許し、自分の至らなさを反省し、体に感謝し、自他の区別なく幸せを願った。

ばかばかしいと思うかも知れないが、これが曲がっていた心を矯正するおれなりの方法だった。やり方は個人個人が納得できるものを見つければいい。

プライドを優先すればプライドが手に入る。
世間の常識を優先すれば世間の常識が手に入る。
幸せを優先すれば幸せが手に入る。

この先の人生を考えて、何を欲っするのがじぶんのためになるのか、よく考えて決めればいいのだ。

そして決めたもの以外は捨てなさい。それは綺羅びやかなゴミだ。