「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

バカとは何か

「バカは、考えなくていいところで思い悩みながら自分は考えていると言い、考えるべきところでは考えずに逃げる」

この言葉を読んだ時、3つの反応が予想される。

  • 「それってどういうこと?」というシンプルな疑問
  • 「私のこと? 私は違う」という自己弁護
  • 「バカにしてるのか? ケンカ売ってるのか?」というヒステリー

この言葉はバカの思考の特徴を述べたものであり、特定の誰かを指していない。しかもこの文章だけでは真意を推し量るのはなかなか難しいはずだ。だから特に問題を抱えていない人であれば「それってどういうこと?」というシンプルな疑問を抱くのが普通の反応だと思う。

しかし自己弁護が先に来る人がいる。怒りが先に来る人もいる。どっちも原因は同じ。常に否定され続けているために、何かあればそれは自分への否定だと感じ、よく考えずにまず防御するという条件反射に縛られた人だ。条件反射は考えた行動ではない。だから自己弁護をしているうちは一切考えていない。考えたつもりになっているだけであり、自分を正当化できる理由を捏造して列挙することで安心しようとする「作業」だ。

このような行動を取ってしまう原因は日々否定されているからだが、その否定の主は実は自分自身だ。自分の思考、感情、イメージをよく観察すればそれに気づくのはたやすいが、考えるべきところで常に逃げるため気づくことはない。

想像してみて欲しい。

ごく簡単な迷路の出口を目の前にして、この出口は嫌だとか、別の出口を探そうだとか、目をつぶって出口はどこだと文句を言う様を。出口は目の前だよと教えても聞く耳を持たないので、他人が手を差し伸べることはなかなかに難しい。そこから出たくないのだと思うしかない。

そんなことをしていて、自分は不幸だ、世間は冷たい、強い者が勝つ世の中は弱者の自分には生き辛いと不満を言う。自ら不幸に住み、自ら負ける方を選び、自堕落で、言い訳をすることだけに懸命になって疲れ、孤独を作り出す。

勝手な憶測で怒り、悪態をつき、他人を責め、思いつきで周囲にクソを撒き散らし、ツッコまれれば形だけ謝り、反省の代わりに自己正当化して安心しようとする。すべきことから逃げ、ほとぼりが冷めるのを待ち、何も変わらないまま元の日常に戻ろうとする。なんとも調子のいいことだ。しかしそこにあるのは元の日常ではなく、以前よりずっと信頼を失った日常だ。そうやって現実に孤立する。

意思を持つ人は自分で道を作り、選ぶ。
バカは作らず選ばず、ただ流される。

バカでいたい人を、他人が救うことはできない。バカを救うのは、バカでいることをやめようとする本人の意志のみだから。

もうわかるだろう。
バカとは「自分を大切にしない人」のことだ。