「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

なんのための人生か(改訂版)

自利利他(じりりた)という言葉がある。
仏教用語
元々、伝教大師最澄の言葉らしい。

自利利他の「利」とは、仏教用語の「利益(りやく)」であり、幸福という意味だ。つまり、自利とはじぶんの幸福ということであり、利他とは他人の幸福ということだ。

自利利他というのは、じぶんが幸福になりたければ、他人を幸福にしなさいという教え。巡り巡ってじぶんに返ってくるということではなく、「利他の実践自体がじぶんの幸せ」だ。

だから分かち合うGiveがとても重要だ。

 

他人の幸せがじぶんの幸せだからと、自己犠牲的に奉仕する人がいる。しかし自己犠牲は幸せに繋がらない。他人が幸せならじぶんは苦しくてもいいってのは間違いだ。
なぜなら主客は常に入れ替わるから。

  • Aさんが幸せになるのを見て、Bさんが幸せになる。
  • Bさんが幸せになるのを見て、Aさんが幸せになる。

 他人は何をもって幸せを感じるかといえば、やっぱり「当人から見た他人」の幸せなわけだ。

どちらか一方が不幸では、幸せを充分感じることはできない。
子のために親の幸せを犠牲にしては、子も幸福ではないのだ。
お互いに幸せになる道を諦めない。これが肝要。

では、幸せとはなんだろうか。
我々はなにで幸せを感じるのだろうか?

経験、感動、喜び。

経験の無いところに感動も喜びもない。
考えてみれば、人生ってそれだけだと思える。
苦しみや悲しみや痛みもひとつの貴重な経験で、それがなければ感動も喜びも大きくならない。
経験は感動の源泉だ。

そして感動。
感情を激しく揺さぶられるのは、よい意味で意外なことに出会った時だ。
これは特に明確に感じられる喜びだ。

喜べることこそが「幸せ」だ。
人は幸せを感じるために生きている。

だから人は喜ぶために生きている。
じぶんの周囲を見返し、どんな小さなことでも喜べることを探せ。
そして大いに喜ぼう。
それこそが君の生きる意味だ。