「哲学の専門家」ではありません。
  天使のような純真さで疑問を投げかける犬畜生です。

「本当」に向かう一歩

「私にはできる」
「私には才能がある」
「私は善い人間だ」

そう思いたい気持ちはわかる。でもそれは嘘だ。

できないことはたくさんあるし、才能だって上には上がいるし、完璧な善人なんていない。人間には限界があって、もちろんとんでもなく素晴らしい人だって中にはいるけど、生まれた時からそうだった人なんかいない。少しずつ積み重ねてたどり着くものであって、たいした努力もしないでいきなり高みに行くことはできない。

たいていの人は、できそこないで、中途半端な才能しかなくて、たいした善行もできない木っ端だ。だがそれで問題ない。そこから積み重ねればいいだけだから。どうせそれしかできないんだし。

努力の積み重ねは河原の石積みのようだ。

河原にあるいろいろな形の石を積む。
絶妙のバランス感覚で積み上げてもいい。奇跡のような芸術的な形で積まれた石はたしかに素晴らしい。

でもおれは地面を固める方を好む。よい石を選び、形を整え、強固な土台を作ることを好む。一段目ができるまでとても時間がかかるだろう。苦労の割に成果が見えないだろう。こんなことやってる途中で死んだら無駄じゃないかと思うだろう。

でも構わない。
できてるフリなんかしない。
知ってるフリもしない。
善人になんかならない。

ハリボテが欲しいんじゃない。
本物が欲しい。
本物しか望まない。

だから「今」できないことを恐れない。
「今」才能がないことを恥じない。
「今」善人でないことに苦しまない。

偽物のいい子にはならない。
他人にいい子だと思ってもらう必要もない。
ダメ人間でもいい、本当の自分で居続ける。

一歩でいい、「本当」に向かって一歩を前進することだけを望む。